辨 |
ヒカゲノカズラ科 Lycopodiaceae(石松 shísōng 科)は、世界に3属 約400種がある。
コスギラン属 Huperzia(石杉屬)
ヤチスギラン属 Lycopodiella(小石松屬)
ヒカゲノカズラ属 Lycopodium(石松屬)
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ヒカゲノカズラ属 Lycopodium(石松 shísōng 屬)には、約40種がある。
ミヤマヒカゲノカズラ L. alpinum (Diphasiastrum alpinum;高山石松)
ニイタカヒカゲノカズラ var. transmorrisonense(L.veitchii)
スギカズラ L. annotinum (多穗石松・單穗石松・蔓杉・分筋草・二年石松・杉葉蔓石松)
タカネスギカズラ var. acrifolium(L.neopungens)
ヒロハノスギカズラ var. latifolium
イヌヤチスギラン L. carolinianum
ヒモヅル L. casuarinoides (石子藤石松・石子藤・舒筋草・伸筋草・千金草・木賊葉石松)
ミズスギ L. cernuum (Palhinhaea cernua;舗地蜈蚣・垂穗石松・馬鹿角・過山龍・
燈籠草・筋骨草)『中薬志Ⅲ』p.98
ヒメスギラン L. chinense (Huperzia chinensis;中華石杉・中華石松)
L. clavatum (石松・伸筋草・獅子尾)
エゾヒカゲノカズラ var. asiaticum
ヒカゲノカズラ var. nipponicum(var.wallichianum, var.aristatum,
L.pseudoclavatum, L.japonicum)
アスヒカズラ L. complanatum (Diphasiastrum complanatum;地刷子石松・扁枝石松・
掃天晴明草・舒筋草)
マンネンスギ L. dendroideum(L.juniperoideum, Dendrolycopodium juniperoideum,
L.verticale, L.obscurum f.strictum;玉柏・玉枝石松・樹状石松・伸筋草)
ナンゴクアスヒカズラ L. multispicatum
L. sitchense
タカネヒカゲノカズラ var. nikoense(L.alpinum var.nikoense, L.nikoense)
ニイタカアスヒカズラ L. yueshenense
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シダ植物については、しだを見よ。 |
訓 |
和名ヒカゲノカズラとは、むかし新嘗祭などの神事に、笄の左右に懸けて日影を遮るのに用いたことから。 |
源順『倭名類聚抄』(ca.934)蘿に、「日本紀私記云、蘿、比加介」と。
小野蘭山『本草綱目啓蒙』17(1806)石松に、「キツネノヲガセ新校正 ヒカゲノカヅラ カミダスキ サガリゴケ新古今栄雅抄 ヒカゲグサ ヤマカヅラ倶ニ同上 キツネノタスキ但州 ヤマウバノタスキ豫州 シゝノネバ土州 キツネノケサ豊前 ハイタロ越前 サルヲガセ テングノタスキ江戸」と。 |
説 |
広く北半球の温帯・暖帯に分布。 |
誌 |
中国では、全草を伸筋草と呼び、胞子を石松子と呼び、それぞれ薬用にする。『中薬志Ⅲ』pp.95-100 |
『古事記』上巻天の石屋戸の伝説に、天照大御神(あまてらすおおみかみ)が天の石屋戸(あめのいはやと)に隠れたとき、天宇受売命(あめのうずめのみこと)は、「天の香山(あまのかぐやま)の日影(ヒカゲノカズラ)を手次(たすき)に懸けて、天の真拆(マサキ)を縵(かづら)と為(し)て、天の香山の小竹葉(ささば)を手草(たぐさ)に結ひて」踊ったという。(『日本書紀』巻1神代上 第7段「天石窟(あまのいわや)」に、ほぼ同様の伝説が載る。) |
『万葉集』に、
あしひきの やまかづらかげ(山蔓蘿) ましばにも
え(得)がたきかげ(蘿)を お(置)きやか(枯)らさむ (14/3573,読人知らず)
足曳の 山縵(やまかづら)の児 今日往くと 吾に告げせば 還り来ましを
足曳の 玉縵の児 今日の如 何(いづれ)の隈(くま)を 見つつ来にけむ
(16/3789;3790, 読人知らず)
見まくほり おも(思)ひしなへに かづら(蔓)かけ
かぐはし君を あひ見つるかも (18/4120,大伴家持)
あしひきの やました(山下)日影 かづら(蘰)ける
うへ(上)にやさらに 梅をしの(賞)はむ (19/4278,大伴家持)
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ときはなる 日かげのかづら けふしこそ 心の色に ふかく見えけれ
(藤原師尹(もろまさ,920-969)「五節の所にて閑院のおほい君(源宗于女)につかはしける」)
清少納言『枕草子』第66段「草は」には「日かげ」などとある。
なお、この日かげは、平安時代になると糸を組んだもので代用するようになった。
藤原道綱母『蜻蛉日記』に、
入道故中将(藤原義懐,1057-1008)、ためまさの朝臣のむすめをわすれたまひけるのち、ひかげのいと、「むすびて」とてたまへりければ、しれにかはりて、
かけてみし すゑもたえにし ひかげくさ
なにによそへて けふむすぶらん |
このひかげについて『雅亮装束抄』に、
かぶりにひかけといふものを左右のみみのうへにさげたり。かぶりのこじのもとに、ひかげのかつらといふものをゆひて、しろきいとのはしなど、ほどからくみなしてあげまきになをむすびさげて、かたかたに四すぢづつかぶりのつのをはさめて、まへにふたすぢ、うしろにふたすぢ、左右にさげたるなり、云々。
(松田『増訂 万葉植物新考』引) |
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